仕事ができるということ

正しい正しくないは関係無く、言うことに一貫性と勢い(圧力)が必要なのだと痛感する。
極端な話だと、嘘でも関係者が納得すればそれでいい。
だから正しい行動であっても、誰からも納得が得られないなら、それは正しくないとうことになる。
こういうのは、10代の根拠なき無敵感覚(またはその名残り)だと絶対に受け入れる事が出来ないんだけど、この手のキモなのは冷静さをもって客観的に物事を捕えることだったりする。


何やっても無駄、何を言っても駄目。そんな時に客観的になることは難しいんだけど、仕事ってのは一人で回すものではない。
仕事出来る人なんやと思う人は、漏れなく関係者を巻き込み納得させる話ができる人。


今年の就活は厳しいらしい。エントリーシート、履歴書、集団面接、ディスカッション。面倒臭いし、興味無いし、疲れる。
仕事の出来る出来ないをこんな話だけで判断できるんか、意味あるんかと思うんだけど、
仕事は報告書、打ち合わせ、他部署との会議の繰り返し。報告書は一人で書くけど、仕事の良し悪しを決めるのはみんなで決めたりする打合せや会議で決まる。
集団面接時の、一見レクリエーションにしか思えない茶番劇が、日常業務での動きと重なって見えるから、それで試されているんだな。
やっと今日、あの日々の意味がやんわり理解できたよ。